人間の欲望は絶対なのか!

 この話はどこかで書いたかもしれないが、昔、どこかのスーパー林道を通そうとして政府役人が「このスーパー林道が開通したら、老人や体の不自由な人もこの素晴らしい風景を見ることが出来る」と話していたのを新聞の記事かテレビで見た。この発想はおかしい。人間個人には出来ることとできないことがある出来ないことを悟るのがまともな人間であろう。歩けない老人が日本アルプスを見たいといったら林道を通し、ロープウェイを掛けるのか!体の不自由な人がアルプスに登りたいと言ったら専用の動く歩道でも作るのか!

 私の父は、死ぬまでに北海道の知床半島から北方領土を見てみたいと言いながら、結局、北海道に一度も行くことなく死んだ。そんな些細な夢も実現できなかった。一方、世間はどうか。「おにぎりが食べたい」と言って餓え死にする人間がいる一方で、一億円以上掛けて外国で臓器移植をする人間。子供が欲しいと言って他人の精子や卵子を買ったり、代理出産をしたり。その時の医者の言葉は必ず『それを求めている患者さんがいる』である。患者が求めれば、何でもしていいのか!個人の欲望はそれ程、絶対的なものなのか!

 個人、個人と騒ぐが、こんな考え方は日本には無かった全て白人の考え方である。世界を環境破壊に導いた白人の考え方である。では日本には個人が無くて、何があったのか。集団と子孫であろう。個人を優先するよりも、自然を含む集団を優先させ、自分よりも子孫の存続を優先させる。

 寺から手帳を貰った。家は浄土真宗である。めったに無いが壮年会の集まりに顔を出すことがある。宗教のことは若い時から良く考えていた。聖書も読んだし、仏教関係の本も読んでいたが、今考えたら父が死んだときに浄土真宗の作法も知らずに申し訳ないことをしたと恥ずかしくなる。

 その手帳の中の教書 宗教の課題と現代の項に私が言いたいことがそのまま表現してあったので以下に抜粋する。
 『技術の進歩と経済の発展は、人間の夢を次々と実現させましたが、それにともなって人間の欲望をも限りなく増大させました。他の人々を顧慮せぬ自己中心的な欲望の追及は、差別と不平等を生む源となっています。人間中心の思想は、一面では自由と平等の実現のために貢献してきましたが、他面では人間を絶対化し、争いや不安を助長することにもなりました。』

 アメリカのブッシュは未だに『自由と平等』と叫んで自分達白人の民主主義を絶対に正しいものと世界に押し付けているが、私の言いたいのは、白人の民主主義と称するものは既に破綻し始めているのではないかと言うことである。市場原理主義など、正にその基盤は個人の欲望そのものである。個人の欲望を野放しにしてきた西欧民主主義の帰結が地球環境の破壊と温暖化なのである。地球上の66億の人間全てが先進国並みの生活をするのは絶対に不可能なのである。私達の生活は、予防接種も受けられずに黙って死んでいく子供達や飢えやエイズで死んでいく人々の犠牲の上に成り立つものである。ブッシュの言う『自由と平等』とはこの程度のものなのである。要するに自由に平等に競争して負けた者は黙って死になさい競争に勝った自分達は贅沢の限りを尽くすと。こんな野蛮な思想が西欧流民主主義の本質なのである。肉食の白人らしい考え方である。獣の考え方だと思う。

 江戸時代の武士の生活の慎ましさに西欧人はヨーロッパの貴族と比較して驚いたらしい。上下の差があまり無かったのである。日本の平社員と社長の給料の差が比較的小さいとちょっと前まで話題になっていた。少し前まで一部上場の企業でも10倍も無い企業が大半だったと思う。そう考えると日本は昔から西欧よりもよっぽど平等な社会だったことが分かる。「北野天神縁起」の巻一に大学者菅原是善の館の前に牛車が二台止まっており、その轅(ながえ)に子供がぶら下がって逆返りをしている図が描かれている。貴族の牛車の轅で平民の子供が遊ぶ姿。何と平等な社会ではないか。平安時代には810年から300年以上の長期間、死刑も行われていない。現在、世界的に死刑廃止の動きがあるが、日本は1200年前から死刑を行っていない期間があったのである。

 そもそも科学的知識は西欧に比べて少々劣っていたかもしれないが、真の平等性や文化面では日本の方が西欧よりも圧倒的に優れていたのではないか。少なくとも江戸時代レベルの日本の文化を世界に押し付けたとしても、今の地球環境問題は生じなかったであろう。なぜなら江戸時代の日本の生活はほぼ完全なリサイクル社会であったし、自然を恐れ、敬い、再生維持する文化を持っていたから。逆に自然を利用することしか知らない、即ち、使い捨てることしか知らない西欧人の支配を受けるようになって、こんな日本と地球環境になった。

 地球人類のあり方を正すには、白人の合理主義ではなく、本来の日本的な考え方や文化を世界に流布する必要があると考えるのであるが、それも上手くいかないであろう。なぜなら、現代の日本人は本来の日本人らしさを失ってしまったし、世界は白人の主張する合理性のみで動くからである。

(2007年12月30日 記)

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